初代 | 柴田彦左衛門が創業(過去帳による) |
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二代目 | 柴田要左衛門(お墓には要左衛門正忠の名) |
三代目 | 柴田平六(岩ノ上を開墾し、山を掻き崩して田んぼにした。我慢の平六と呼ばれていた) |
四代目 | 柴田謙一(信心深く、保久の萬福寺に寄付をした。仏の謙一と呼ばれていた) |
五代目 | 柴田類太(江戸期に建てられた蔵の火災後、現在も残る旧蔵を建てる) |
六代目 | 柴田清蔵(在郷軍人分会長、村会議員を4期16年務めた) |
七代目 | 柴田卓男(安城農林学校から鳥取大学進学、卒業後に一時、下山中学校で教鞭を執るが、後に家業に継ぐ) |
八代目 | 柴田秀和(現当主) |
天保元(1830)年 | 江戸時代後期、旧額田郡下山村に初代・柴田要左衛門が創業。 |
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明治31(1898)年 | 8月9日夜11時頃に蔵で火災が起こる(立て札が残っている)。 |
明治32(1899)年 | 五代目柴田類太が蔵を建て替える(現在の旧蔵)。 |
明治39(1906)年 | 柴田平九郎、柴田誠次郎、高木田浅次郎、柴田直吉の4名により山保合資会社を設立。 |
大正11(1922)年 | 柴田清蔵が山保合資会社の権利を受け継ぎ、酒名「孝の司」を商標登録。 |
昭和33(1958)年 | 現在も使用している井戸の一つ「松林」の井戸掘り完成。 |
昭和48(1973)年 | 七代目柴田卓男が、現在の分析場や瓶詰場のある鉄筋工場と貯蔵庫を建設。 |
平成15(2003)年 | 現在も使用している井戸の一つ「岩ノ上」の井戸掘り完成。 |
平成27(2015)年 | 「众醸蔵」の建設計画、着工。 |
平成28(2016)年 | 「众醸蔵」完成。新ブランド「众」(ぎん)を製造開発。 |
江戸期に建てられた蔵は、明治31年(1898年)に火災で焼失しますが、翌年に再建。その後、大正〜昭和〜平成へと時代を超えて蔵は当時の佇まいのままずっと残りました。写真は昭和の頃の蔵の全景です。この面影は今も残っています。
六代目柴田清蔵の時代には、井戸は昔の母屋に二つ、貯蔵蔵の中に一つあったが水量が少なく、隣家の横の川からも水を引いてきていた。あるとき、工場で使用する重油タンクから重油が流れ出し、貴重な二つの井戸が使えなくなってしまった。そのため新たな水源を求めて、井戸を掘ることに決めた。全部で七つの井戸を掘ったが、現在も主に使用しているのがその中の二つ「松林」と「岩ノ上」の井戸となる。
「松林」の井戸は、昭和30年に豊田市花山の池下長太郎夫妻にお願いし掘っていただいた。当時はスコップや鍬ですべて手掘りし、3年の歳月をかけて完成。七代目柴田卓男も村松杜氏や従業員とともに、素焼きの土管150個を山の頂上まで運んだ。七代目卓男の妻・啓子も当時は赤子だった現社長の秀和をおぶって、山の上まで作業の様子を見に行ったという。その後、平成の時代になって新たに、建設会社の手による「岩ノ上」の井戸堀りも行われた。こうして掘られた井戸から、現在も蔵の仕込み水を調達している。
※ささゆりバスは平日のみの運行です。その他の額田地域のコミュニティバスなど詳しくは、岡崎市Webサイトをご確認ください。
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